はじめに
現在もプーチンの軍隊による侵略に文字通り身命を賭して抵抗を続けるウクライナ市民と、圧政者による弾圧にも関わらず反戦の声を上げるロシア市民に最大限の敬意を表します。
※本文中では侵攻と侵略が入り混じって使用していますが、これは外交用語としての侵攻(invasion)と侵略(aggression)を使い分けているわけではありません。今回のロシア軍はウクライナ政府の打倒と傀儡政権の樹立を企図していると考えられ、これは明確な侵略行為(aggression)に当たると考えています。
※地名について、馴染みのあるロシア語発音のカナ表記の後ろに括弧書きでウクライナ語発音のカナ表記を記載しています。ウクライナの特に西部から南部にかけてはロシア語を母語とする人口も多いこと、我が国ではロシア語発音に基づいたカナ表記が主流であること、ロシア語発音に基づいた表記だけだとプーチンの主張する「ロシア系住民を保護するための軍事作戦」という理由付けに迎合しているような気がしてしまい気分が悪いことが併記にした理由です。
本文
先月24日にロシア軍がウクライナへ全面侵攻した。現在もウクライナでは激しい戦闘が続いていて、ウクライナ軍、ロシア軍、そして民間人に多くの犠牲がでている。首都キエフ(キーウ)そして猛攻を受けているハリコフ(ハルキウ)は驚くべきことに侵攻が始まってから1週間経った3月3日現在でも持ちこたえているが、ロシア軍が兵力を増強し民間の犠牲を厭わなくなりつつあり、状況は悪化の一途をたどっている。
侵攻前夜
昨年からロシアは軍をウクライナ国境へ集結させてウクライナ政府へ圧力をかけていて、米国政府は侵攻の可能性を警告していた。北京五輪が開催されている間に私がみた予想は次のようなものだった。
- 軍の集結は威嚇で本気で攻め込む気はない。野蛮だが「いつものこと」である。
- これまでもロシアが介入してきたドンバス地域でより大規模な介入をする。
- 全面侵攻すら可能な兵力が集結していて何が起きてもおかしくない。
そして落としどころはロシアに有利な形でミンスクIIを履行させることではないか、という予想が多かったように思う。
こうした状況下でいくらか気になった情報があった。
- ただの演習にしては補給部隊の数がかなり多いこと。
- ロシア側の要求が当初の「ウクライナがNATOへ加盟しないことの法的な保証」から一切トーンダウンしないこと。
- アメリカ政府による警告のトーンがどんどん強くなっていること。
- ロシア政府が演習の終了を発表して以降もOSINTで得られる情報からは撤兵の気配がなく、むしろ想定される攻勢正面へ兵力を移動させていそうなこと。
そして、ロシア政府が21日にドネツク(ドネツィク)とルガンスク(ルハンスク)の「自称共和国」を承認したことでミンスクIIの枠組みが崩壊したとき、軍事侵攻が行われることは確実視されるようになった。そして関心は「どこまでやる気なのか」に移っていった。
この段階でもロシアに理解を示すような識者の発言がみられたが、しかしながらプーチンの決断は多くの人間の予想を超えていた。ベラルーシ国境を含む三正面からの全面侵攻が行われたのである。
宣戦布告と思想的背景
全面侵攻したという事実とプーチンの演説からは大きな衝撃を受けた。19世紀のような価値観で正面切って国家対国家の戦争を安全保障理事会の常任理事国が始めたのだから。また、演説が極めて情緒的であることもそれまで抱いていたプーチンの印象から離れていた。安全保障における偏執的なまでの力の信奉、西側への病的な被害者意識、そしてロシア・ベラルーシ・ウクライナというルーシの系譜をもつ国家の領域においてロシアが主導的な役割を果たすべきだという誇大妄想がそこにあった。こうした印象はこの時点ではまだ疑念にとどまっていたがRIAノーボスチが26日に誤って掲載した文書によって現在はほとんど確信している。大日本帝国の東亜新秩序やナチスドイツの生存圏構想と大差ない考えをプーチンは抱いているのではないか。ウクライナはソ連共産党がロシアから切り離した結果誕生した人工国家であってオリジナルの文化や民族などないとためらいなく公言する姿勢にはぞっとさせられる。時間のスケールこそ違うが、かつて大日本帝国が日鮮同祖論によって韓国併合やその後の同化政策を正当化したことを想起した。
また、これまでことあるごとにロシアがNATOの東欧への拡大に対して極端な反応を見せてきた。私はこれを交渉を有利にするための戦術だと捉えていたのだが、こうした考えはロシア国内で比較的市民権を得ている考えのようだ。自国の存亡に直結するとプーチンが考えているのであれば、かつて合意していようがいまいが彼らが「安心」できる勢力圏を確保できるまで核の抑止力を背景に武力による現状変更を試みても不思議ではない。プーチンが行っていることはまさに「迅速に振るわれる暴力の前にはどのような言論も無力であり、力によってのみ生存圏を確立することができる」という考えに基づいているのではないか。
開戦後の趨勢
開戦後、ウクライナの将来については「首都キーウを含む主要都市は開戦から数日のうちに陥落しウクライナ政府は崩壊する」といったような悲観的な予想が大半だった。しかしながら侵攻から1週間以上たった3月3日現在でもキエフ(キーウ)、ハリコフ(ハルキウ)、マリウポリといった主要都市は猛烈な抵抗によって未だウクライナ側の統制下にある。ロシア側の侵攻が遅れている理由について、有識者からはロシア軍が抱える次の要素が挙げられている。
- 事前砲撃や空爆などを徹底しないまま空挺作戦を行うなど作戦計画が希望的観測に基づいた杜撰なものであること
- 直前まで開戦することを知らされずに戦地に送り込まれた兵士の士気が低いこと
- 今回動員された将兵の多くは戦闘を経験していないであろうこと
- 経済の低迷によって物資が不足し前線の補給や通信に支障をきたしていること
また、ウクライナ側の奮戦については次の要素が挙げられている。
- 準備期間が長かったことにより西側から物資の供給を受けて態勢を整えていたこと
- 開戦後もポーランド経由で西側から物資が供給されていること
- 8年に及ぶドンバス地域での紛争により実戦経験を持つ将兵が多いこと
- ゼレンスキー大統領が首都キエフ(キーウ)にとどまり軍や市民とともに最後まで戦い抜く姿勢を貫いていて軍民ともに抗戦の意志が固いこと
しかしながらロシア軍の停滞とウクライナ軍の奮戦にもかかわらず依然として兵力には大きな差があり、ウクライナ政府は貴重な時間を稼ぐことはできたものの今後の見通しは暗いままである。巻き返しを図るロシア軍は兵力を再編しているとみられ、また当初は誘導弾による軍事目標への攻撃や空挺による制圧が目立っていたが早々に砲兵による市街地への攻撃が実施されるようになった。未だに大規模な空爆は実施されておらずロシアのエスカレーション戦略の手札として温存されている状態だが、今後も状況に進展がみられないようなら実施されるだろう。またロシア側は核兵器の使用を示唆しており、さらなる手として低出力核兵器の使用も想定されている。
厳しい状況下でゼレンスキー大統領率いるウクライナ政府は素晴らしい対応を見せた。絶対に戦い抜くのだという姿勢を崩さず、米国の情報ではロシアのターゲットリストの最上位に記されているとされながらも逃げ出さずに武器供与を求め、日々報道やSNSを駆使して国民を鼓舞している。献身的な姿勢にゼレンスキー大統領の支持率は91%にも達し、ウクライナは挙国一致で総力戦体制を築き上げている。
国際社会の反応
ロシアによるなんら正当性のない侵略行為に対し、国際社会、とりわけ西側諸国は一致して対応してきた。開戦前もフランスのマクロン大統領やドイツのショルツ首相がプーチン大統領と首脳会談を実施し、なんとか妥協点を探って軍事力の行使だけは防ごうと精力的に活動していた。残念ながら5時間にわたってプーチンの演説に辛抱強く付き合ったにもかかわらずマクロン大統領の努力は報われなかったが、欧州の首脳の精力的な活動は米国との超大国会談(もはやロシアは超大国ではないが、彼らの自意識としてはそうなのだろう)に拘って頭越しに物事を決着させようとするロシア側の行動を掣肘し、欧州と米英の結束を強くした。事態の深刻化に伴ってSWIFTからの排除やロシア中央銀行に対する資産凍結、プーチンやルカシェンコなどの指導部に対する個人資産凍結といった制裁が足並みをそろえて発動されたことは強いメッセージを持つ。
また侵攻後はNATOの即応部隊がバルト三国とルーマニアに展開するなど、NATO加盟国を共同で防衛するという姿勢がみられた。一方でNATOに加盟せず中立の立場を保っていたスウェーデンとフィンランドもウクライナに武器を供与し、特にフィンランドではNATO加盟を支持する国民が半数を超える、ドイツが国防費を大幅に増額するなど地政学的なバランスに大きな変動が起きつつある。
欧州連合もウクライナ支持を明確にし、27日にはフォンデアライエン欧州委員長がウクライナのEU加盟を支持し、28日にゼレンスキー大統領がEU加盟を申請するという事態になった。これを受けて以前からEU加盟を希望しながらも国内改革が進まなかったため加盟申請できずにいたジョージアとモルドバも共同でEU加盟を正式に申請した。ジョージアは南オセチアとアブハジア、モルドバは沿ドニエストルというロシアの影響下にある事実上の独立国家を抱えており、今回の事態に対する危機感が強い。
国際連合では、今回の事態を安全保障理事会で議論しているまさにその時にプーチン大統領による宣戦布告が行われたため、ロシアに対する非難が集中した。グテーレス事務総長はロシアの侵攻を非難し即時撤退を求めた。ロシアを非難する決議がロシアの拒否権により否決されると、国連総会に議論の場が移った。国連総会では賛成141、反対5、棄権35、無投票12という圧倒的多数でロシアを非難する決議が採択された。反対票を投じたのはロシアの他にはベラルーシ、北朝鮮、エリトリア、シリアというロシアの支援がなければ独裁政権が崩壊しかねない札付きの失敗国家ばかりで、決議前にロシア支持を示唆していたベネズエラは分担金が払えず投票権がないため反対票を投じることすらできないありさまだった。もはやロシアがソ連とは異なり米国と世界を二分する超大国でなく、ただ核兵器を大量に保有している孤立した軍事大国であるのは誰の目にも明らかだった。
北京五輪前に行ったプーチン大統領と首脳会談ではあれほど強い言葉でお互いの行動への支持を表明した習近平主席の中国も西側と立場の差こそあれ全面的な支持はしていない。こういった連携のなさもかつての枢軸陣営を思わせる。ローマ・ベルリン枢軸はそれなりに機能したのかもしれないが、東京とローマ・ベルリン間の意思疎通はお粗末だった。モスクワと北京の間の意思疎通も力強い言葉とは裏腹にそれほどのものではないのだろう。
またロシア国内でも反戦デモが起き、経済制裁を嫌ったオリガルヒなどからも戦争に反対する声が上がったのは興味深い。一方でロシア政府は反戦デモは徹底的に弾圧し、報道機関には政府の意向に沿った報道をするよう圧力をかけている。そのためこうした戦争に反対する運動は西側の情報に接する若い世代やインテリ層に限られ、残念ながら全国民的な運動になって政権を倒すというところまではいかないように思う。こうした行動が起きた事実は重要だが、あまり過大な期待はしないほうがいいだろう。
本邦における言説
侵攻前、本邦における言説は親露的なものとそうでないものの間で二分されていた。侵攻直後はキャストが変えられなかったのか有識者としてモスクワから金でも貰っているのかと言いたくなるような筋の通っていないクレムリンの言い分をそのまま垂れ流す人間が出演していたが、現在ではそういう人間はパージされてまともな報道がされるようになった。また防衛研究所の専門家がメディアに出演するなど、これまでにないレベルでロシア側の虚飾にまみれたプロパガンダに対抗する知的領域での戦線が張られている。またNHKによるガルーシン駐日ロシア大使への踏み込んだインタビューが行われるなど、報道各社もウクライナ侵攻について精力的に報道を行っている。
そうした中、我が国の衆参両院でロシアに対する非難決議が採択されたが、筋の通らない理屈でれいわ新撰組が反対したことにより全会一致での決議にならなかったのは極めて遺憾である。また、ロシア語を母語とするロシア系ウクライナ人が多数いることを無視して河野太郎元外務大臣がウクライナの都市名をロシア語で呼ぶのはやめるようツイートしたり、安倍元首相が核共有の議論をすべきだと呼びかけたり、政治家による安易な行動がみられるのは残念だ。究極は鳩山元首相のロシアによる侵略を肯定する言動だろう。クリミア併合を肯定して以来、もはや国内に彼の言葉に耳を貸す人間はいないだろうが、一方で元首相の肩書は重く対外的な影響が懸念される。
そうした中、岸田内閣は初動こそやや手探りな雰囲気であったが、すぐに欧米と足並みをそろえて強い制裁を与えていくことを表明し、その後の制裁内容も欧米各国のそれと大差ない内容となっている。クリミア併合の際は北方領土問題を念頭に置いた安倍内閣は形式上の制裁にとどめたが、その後ロシア側が態度を硬化させ進展がなかったことも影響しているように思う。失敗を反省し、今度はきっちり制裁を加えていくというわけだ。特に今回は難民の受け入れや物資の供与といった前例にない対応を表明している。こうした力による現状変更は絶対に認めないという強い姿勢を西側が団結して見せることは、ロシアそして中国への重要なメッセージになる。
こうしたなか、イラクやシリアのときは声を上げたのか、ウクライナはいいのに中東からの難民を受け入れないのは差別的だ、という相対主義に基づいて政府の対応を批判する意見を見かけたことは残念だ。残虐な行為に声をあげることに遅すぎるということはない。過去に声を上げなかったのに今回声を上げないのは二重規範でけしからん、という人は反戦運動をつぶしてなにがしたいのか。そういう人がせっかく声を上げているのだから一緒に声を上げて、次があれば(あってほしくはないが)また一緒に声を上げる。それでいいではないか。
また、今回ウクライナに同情的な声が多いのは戦闘によって単に残虐な行為が行われているだけでなく、民主的なプロセスで選出されたゼレンスキー大統領も逃げ出さずにキエフ(キーウ)に留まって指揮を執っていて国民が一丸になって自由のために侵略者に対して戦い抜く姿勢を見せていることが大きいのではないか。もちろん人道上の観点から言えば中東の難民の受け入れも当然行うべきだが、独裁者が自国民を虐殺して反政府勢力も本当に民主的な勢力かというと軍閥の集まりにテロリストが混じっていたりでこっちが勝ってもできるのはバティスタやピノチェトの政府なんだろうなと思わせる状況をみたときに「遠い国の出来事」と感じてしまっても仕方ないだろう。国民の反応に温度差があってよろしくないと強く思うならシリアについても声を上げればいいわけで、二重規範が差別的だと非難することに意味があるとは思えない。同じロシア軍による行為ということでシリアでの残虐行為(反政府勢力の支配地域に無誘導爆弾による大規模な空爆を行っていた)に対する言及もあるのだからやりようはあるはずだ。
ましてや日本で非難決議をしたところでプーチンの侵略を直接止めることなどできないのだから意味がないので非難決議に反対するなどというのは意味不明である。仮に非難決議が否決されればプーチンへ「力による現状変更をしても問題がない」というメッセージを送ることになる。
おわりに
プーチンの主張と行動を改めて振り返ると、かつての枢軸国との驚くべき相似性が見て取れる。このようなことが21世紀に起こるとはあまりにも信じがたく、あってはならないことだが実際に起こってしまった。もはやNATOによる共同防衛の抑止力が持つ意義がとてつもなく重いものであることは事実となった。我が国も日米同盟なしでやっていくことなど不可能であることは明白である。こうした状況下で自由・民主主義・基本的人権という普遍的価値観を共有する国が近年みられなかった強さで団結していることは唯一の慰めだが、普遍的価値を共有していながら共同防衛の枠組みの外にいる国は従来の方針の転換を迫られるだろう。
独裁国家とも平和裏に付き合っていくことができるというのは幻想だった。独裁者がひとたび要求が通らなければ戦争をしても押し通すと決意した場合、相手の要求を無条件に飲むか戦うかしか道はない。また独裁国家の国民となってしまったら、どんなに嫌だと思っても戦地に送り込まれてしまうかもしれない。そういった価値観を共有している相手にはこれほど強い共感を覚えるのかと自分でも驚いた。ただ独裁者同士の争いの下で逃げまどっている相手には同情を覚えてもこれほど強い共感を覚えることは難しい。ポストモダニズム社会において西側の普遍的価値に対して懐疑的な部分があったが、中国による香港の圧政とロシアによるウクライナの侵略を目の当たりにして、我々が当たり前に享受している社会がどれだけ大切なものであるかを痛感させられた。
こうした中、中国の圧力が増す中で我が国がやるべきこと、できることというのはたくさんあるように思う。入国管理局の収容所で行われている非人道的な取り扱いをやめる、奴隷と見まがうような技能実習生制度を廃止する、そういった普遍的価値に基づいた政策を実施していくこと。日米地位協定の見直しも含めて日米同盟を持続可能でより強固な同盟関係に深化していくこと。東南アジア諸国の民主化を支援して普遍的価値を共有する国を増やしていくこと。素人考えだがこうした活動が中長期的に重要な意味をもつのではないか。
状況は悪く行く先は暗いが、灯りを点して進んでいかなければならない。必ず夜は明けるのだから、それまで生き抜いていこう。
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