ゼロ年代の日本には多くの携帯電話メーカーが存在した。日本電気、富士通、シャープ、パナソニック、日立製作所、ソニー・エリクソン、三菱電機、東芝、三洋電機、カシオ計算機、京セラと主要な電機メーカーは多くが携帯電話を作っていたのだ。富士通から分離されたFCNTが今年6月に突然破綻したことを公表した。京セラが5月に2025年3月をもって個人向け端末事業から撤退することを発表した直後のことで、大きな衝撃をもって受け止められた。以来携帯電話事業は先行き不明の状況が続いていたが、9/1にLenovoに事業譲渡することを東京商工リサーチが報じた。これで民生向けの携帯電話事業を手掛ける日本のメーカーはソニーと破綻後に台湾の鴻海精密工業(Foxconn)の資本注入を受けたシャープを残すのみとなった。
こうした報道が流れると、なぜ日本メーカーの携帯電話事業が上手くいかなかったのか、という話題がSNSを駆け巡る。Twitterでのポストは文字数制限もあるからか極端に単純化されたポストばかりでみるところがないが、TechAltarがYoutubeにきれいにまとめた解説動画を投稿している。個人的な体験を加えてこの話の流れを追うことにしよう。
三人の巨人とiPhone登場まで
この話には三人の登場人物がいる。巨大資本を投資に振り向けたキャリア、高い技術力を持った電機通信メーカー、新技術へのキャッチアップに熱心な消費者だ。誰かが欠けるとこの話は成立しない。1990年代のキャリアは技術開発に熱心で、1990年代末にはNTTドコモのiモード、DDIセルラーのEZwebといったインターネット接続サービスが投入され、新技術へのキャッチアップに熱心な消費者はこの新機能を使いこなし始めた。
こうした高度な機能を備えた端末はキャリアの依頼を受けて前述したメーカーが開発しキャリアに納入していた。メーカーは端末を直接販売することなくキャリアに納入するため売り上げが安定し、多額のコストをかけて開発した端末が売れずに「爆死」するリスクを回避することができた。キャリアは複数年契約を前提とすることで通信料金に端末価格の一部(あるいはすべて)を転嫁できたため、端末導入時にかかる見かけ上の端末価格を抑えて高機能な端末を普及させることに成功した。ユーザはキャリアの複数年契約(2年が多かった)の更新日がくるたびに買い替えると割安に高機能な端末を使うことができた。三方よしのエコシステムだったのである。
さて、1990年代末の第2世代移動通信システム(2G)をベースとする通信インフラでは爆発的に増大していくトラフィックに耐えられず、2001年にNTTドコモはFOMA、KDDIはCDMA2000 1Xとして第三世代移動通信システム(3G)を投入し、急速に普及した。2000年代後半には北米や欧州といった先進地域も含めて世界的には2Gが主流の中で特異点的に3Gが主流な地域になったのである。三大キャリアの残りの一角であったボーダフォンは3Gの展開に失敗し、これがソフトバンクへの事業譲渡につながった。
iPhone登場
2007年にiPhoneが産声を上げたとき、日本国内では見向きもされなかったのも当然と言える。すでに日本国内で販売されている端末で全て実現されている機能ばかりで通信方式は日本では5年前には時代遅れになっていた2Gで見るべきところはUIだけ。当時聞いたのはiPod touchに通信機能が付与された端末が発表されたらしいという話で、2000年代前半の業務端末としてのPDAを見慣れていたこともあり、見てくれはいいがそれだけだというのが当時抱いた私の感想だった。2008年にiPhone 3Gが発売され、ボーダフォンから事業を継承したソフトバンクが国内で独占販売することになったときもあまり興味がなかった。なにせiモードや赤外線通信といった当時の日本の携帯電話で一般的だった基本的なインフラが使えず、当時のインターネットで主流のリッチコンテンツだったAdobe Flashを見ることもできず、カメラで動画が撮れるわけでも地上波をワンセグで見ることができるわけでもおサイフケータイがついているわけでもない、端的に言えば「しょぼい」端末だったのだ。結論から言えばこのiPhone独占販売は起死回生の一手となりソフトバンクのシェアが拡大することにつながった先見の明がある決断だったのだが、ともあれソニーのウォークマンとキヤノンのデジカメとドコモの携帯電話を持ち歩いていた当時の自分にはそれを見通せなかったのである。
日本でのスマートフォンの普及と影響
HTCのAndroid端末HT-03Aが2009年にドコモから販売されたときもユーザの反応は良くなかった。潮流が変わったのは2010年だろう。iPhone 3GSから大幅に機能が向上したiPhone 4が投入され、アプストアにはアプリが大量に存在する。ソニー・エリクソンもXperiaを日本に導入し、スマートフォンの時代が日本でも始まったのだ。そしてそれはキャリアの用意したエコシステムからWWW上のエコシステムへの移行という革命だった。 キャリアはiモードやEZwebといったインフラでユーザを囲い込むことができなくなり、メーカーはキャリアと協調して作り上げてきたシステムから汎用的なAndroidのシステムへと移行せざるを得なくなった。WWWにはキャリアの壁がない以上、世界市場での競争を行うことになる。そしてソニー・エリクソン以外の日本のメーカーが手掛けた携帯電話事業は国内市場が主だったことから移行が遅れた。2010年というタイミングは日本では正解だったが、世界的には出遅れていた。
とはいえこの遅れがなければ日本メーカーの携帯電話事業が生き残っていたかというと世界市場を相手にしていたソニー・エリクソンから事業を継承したソニーがごく僅かなシェアしか持っていないことを考えれば微妙だろう。ノキアやモトローラといった往年の携帯電話メーカーはいずれも見る影もない。Android端末を初めて発売したHTCもかろうじて生き残っている状態だ。汎用的でオープンなシステムになったことで端末を安く大量に供給できるメーカーだけが生き残った。スマートフォンを発売してシェアを得ている先進地域の企業はアップルとGoogleを除けばサムスンだけで、あとはみな中国のメーカーというのが現実である以上、ソニーが生き残れなかったのに他のメーカーが1年早くAndroidに手を出していたところで生き残れたとは思えない。そもそも2000年代後半は電機メーカーにとって斜陽の時代で、家電部門が中韓のメーカーに猛烈な追い上げを受けていてどこも業績が苦しかった。
ソニーが失敗した理由としてソニーにとって携帯電話事業よりもほかのセグメントのほうが魅力的だったので携帯電話事業への投資がおろそかになったからではないかという推測があげられている。これもまたそうだろう。厳しい業績のなか、安く端末を供給できる新興国のメーカーと世界の携帯電話市場で戦う力は2010年の日本のメーカーにはなかった。キャリアとの協調体制が崩壊した以上安定的な収益は見込めず、それならば撤退するという判断をいずれのメーカーもしたわけだが、それを責めるのは酷だと思う。
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